名古屋にある浄土真宗のお寺です。

西念寺について

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西念寺は名古屋市千種区にある浄土真宗(西本願寺)のお寺です。西念寺では葬儀・法事・月参りなどの仏事相談を行っています。ご家庭の都合にあわせて柔軟に対応させていただきますので、お気軽にご相談下さい。

また、月例行事を中心に経典の購読会、仏教カウンセリングによる相談活動なども行っています。みなさまのご参詣を心よりお待ちしています。

西念寺の理念

・真実にめざめ、本当のやすらぎを感じられる仏事を行います。

・あらゆる差別を離れ、人がありのままでいられる場を目指します。

・お金で計ることのできない大切な文化を次世代に伝えます。
西念寺の歴史

江戸時代のはじめごろ、京都の御所につとめる柳馬場大膳佐(やなぎのばんばだいぜんのすけ)という医者がおり、その次男の副田陰斉も父より医術を学び御所に出入りを許されていました。1652年、父の大膳佐が病にて苦しみのうちに亡くなり、それをみとっていた陰斉は、この世の無常に心をうたれ、出家を決意しました。そして「西念」と号して、家に伝わっていた阿弥陀尊像(この木像は薩摩国の誓鎧という僧が戦乱の中で背負って京まで逃げてきて陰斉の先祖に託されたもので、現在の西念寺のご本尊)を背負い、一子を伴って各地を遊行していました。

1656年の春、西念坊が尾張国烏森村を通りかかったところ、村人の多くが疫病に苦しんでいるのを知り、各戸をまわって病人を治療したところ、皆の病気が回復をいたしました。村人たちは喜び、西念坊のために庵をたて、村にとどまってくれるように懇願しました。そのため西念坊はここに本尊を安置し、庵を西念庵と名づけ、専修念仏のかたわら医術を施していました。

しかし、世の多くの人々が医術を求めて烏森に集まってきているのをお知りになった天皇は、西念坊を呼び戻そうとされました。このままでは俗世を逃れ出家した志がはたされなくなってしまうので、西念坊はふたたび各地を遊行しました。

やがて吹上の里、阿弥陀ヶ池の頭(ほとり)、二百三十一歩の土地にかやぶきの堂を建てて念仏道場といたしました。これが現在の池頭山西念寺となります。この後、長年にわたり住職一家の生活は家伝の「こう薬」「せん薬」「くろやき」等の漢方医術によってまかなわれました。その後、400年近くにわたり仏教と福祉を活動の柱として、地域の人々に親しまれ支えられながら現在に至っています。特に第9世の原天随の活動は明治・大正期における社会福祉事業の先駆けとして高く評価されています。

 

TEL 052−731−4701

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