初心の会でした。
『私のものさし仏のこころ』を輪読しています。
今回、「出る息は、入る息を待たずして、命終わる」の一文の、「どうすることもできない迷いの世界から、どうする必要もない世界に出させていただくことが、人間に生まれてきた意味なのです」がよくわからないという問いがあがり、そこが一番作者の仰りたいことではないかと、話が深まっていきました。

我が身をコントロールできると思っていたけれど何一つ思い通りにならない苦しみを生きている。
枝葉のように次々に広がる不安を解消するために右往左往し、躍起になっているけれど、迷いの根っこを直ちに切られなければ、またすぐに迷いのの枝葉伸び広がっていく。

仏法は迷いの根っこを問題にし、その根本的な解決を目的としている。

迷いの根っこが断たれたならば、もはや2度と迷わない「どうする必要のない世界」出させてもらい、我が命が尽きた暁には、今度は他の命を救済するためのはたらきとなる。

今回はもともと親子でお参りくださっていた方に加え、お父さまをお連れくださった方もいて、尊いご縁をいただきました。
親子でお聴聞いいですね。ほっこり致しました。
なんまんだぶつ     坊守 ゆっこ