近くの圓勝寺さまにて内藤知康和上のお話を聞かせていただきました。先生のお話を大学院、宗学院にて、たくさん聞かせていただく機会に恵まれたことは私にとってとても、ありがたいことでした。今回、お変わりない話ぶりを懐かしく味わわせていただきました。

諸宗の他力と真宗の他力、また本願と名号、称名との関係を的確なたとえで明快にお話下さいました。私としては口から出る称名念仏がご本尊だという、昔の宗学者の説がとてもありがたかったです。この説によって、いつでもどこでも堂々と称名と礼拝ができるのです。

講題にある所帰人法とは信心の対象、ご本尊とは何かという真宗教義におけるいわばテーマ別問題なのです。信心の対象は阿弥陀仏という人か、それとも南無阿弥陀仏の名号という法かという議論です。

先生の講義とは関係ない私のお味わいですが、阿弥陀仏は観無量寿経の真身観で説かれているところによると身長が六十万億那由他恒河沙由旬(1由旬7キロ)で、目が四大海水という宇宙的サイズで、まさに映画「AKIRA」の博士のセリフ「宇宙が誕生したというのか!」状態で、もし本当に現れたら逃げるしかありません。私に応じて阿弥陀仏が名号になって下さったおかげで、その広大な功徳を受けとらせていただけるんだなあとありがたく思いました。ちなみに観経真身観の仏は方便の仏だと親鸞聖人に位置づけられています。