西念寺、彼岸永代経でした。
瓜生先生のご法話はあつく、獅子吼でした。
人を苦しみから根本的に救うには、それがなんなのかを見通す智慧がなければならないし、わたしにはその智慧のかけらなどひとつもない、全く何もわからない、漆黒の闇=無明ときかせていただきました。阿弥陀さまが、その苦しみの底に共に沈まなければ決して救うことはできないものこそ、わたしでした。
また、蜘蛛の糸のお話もされました。
阿弥陀さまは蜘蛛の糸を垂らして登ってきた者を救うというようなお救いではない。
けれど、蜘蛛の糸のお釈迦さまだって、決して冷たいいじわるな仏様ではないと感じました。
少しでも、カンダタの良いところを見つけてなんとか救ってやりたいとおもわれたのでしょう。
こちらに救うてがかりがなかったのです。
カンダタは自分の重みで落ちていきました。
お釈迦さまが突き落としたのでもなんでもありません。
諸仏に見放されてしまったのがわたしと言う存在なのだから。救いようのないわたしなのだから。
そこのところをもう少し突っ込んで先生にお聞きすればよかったかもしれません。
お参りくださったみなさんも、熱心に身を乗り出してきかれていました。
また、座談でききあえたことも嬉しかったです。坊守