enjuこと藤岡 延樹さんのグループセラピーでした。

enjuさんは浄土真宗本願寺派の僧侶でありながら、カウンセラーであり、セラピストであり、ギタリストでもあられ、様々な顔を持った方であります。

また、住職とわたしがこちら西念寺に入寺の際、大変お世話になった恩人でもあります。

今回はここ西念寺で、グループセラピーのファシリテーターとしてお招きしました。

満員御礼。たくさんの方がご参加くださいました。

はじめは、ゲシュタルトセラピー的なワークから。

二人人組になり、一人の、「自分の中で絶対にこれだけは許せない」という事柄を語り、それに対する意見をもう一人が語りかけ、対話するというもの。

もう一つは、これからチャレンジしたいことを、表明する自分と、それに「こうでなければならない」と苦言を呈したり、心配したりするもう一人の自分を一人二役で対話してみて、それをペアのもうひとりが観察するというワークでした。

やってみて思ったのが、ワークで行われたことは日常、こころの中でああでもないこうでもないとごちゃ混ぜにして対立している思いでありました。

でも、実際に、こころの中の対立する意見をきちんと立場を分けて、適切な距離をとって対話してみると、ごちゃごちゃしているものがすっきりと整理され、やりたいことはよりクリアになり、心配していることや起こるであろうリスク等も、闇雲に恐れることはなく、受け入れることができて、落ち着く居場所を見つけられた気がしました。

また、「こんなことをしたい!!」というパッションは「こうでなければならない」というそれよりもはるかにエネルギーが高く、尽きない。

「ねばならない」意見は長続きしないこともわかってきました。

後半はシステミック(ファミリー)コンステレーション。

内容はここでは詳しく書くことをひかえますが、わたしはこのワークに強く惹かれるものを感じました。

一人の人間が今ここにあるということは数限りないほどの存在が影響し合い、遠い昔から連綿と連なっていることを実感として味わいました。

憑依というか、霊的なエネルギーも感じられるので嫌う人はいるかもしれないが、わたしの肌には合う。不思議と温かいものが感じられるワークでした。

enjuさんのセラピーは、自身も他者も、どのようにいてもいいし、何を感受してもいいのだという許容と自由がある。

それはロックであり、一貫して漂うロジャーズ精神でもあり、そしてまた、仏法でもありました。

自然とその場に共に在る人が、久遠の昔から、深く、長く繋がっているような、そんな愛おしさを感じるのでした。

今回も初めてお会いする方が数人いましたが、セラピー終了後はすっかりこころが解けて、しっかりと「出会う」ことができた気がしています。そのことがまたとても嬉しかったです。

人とちゃんと「であう」ことによって、こんなにもエネルギーが高まるのだなぁ。

ファシリテーターのenjuさん、心より御礼を。

ありがとうございました

素晴らしい時間は光のように過ぎ去ります。時間が足りない。ゆっくりと自分や人とであいたい今日この頃です。

坊守