道全和尚のアレクサンダーワーク、ゲスト辻野恵子さんを迎えての「葬儀と身体」エキサイティングでエキセントリックでした。

焼香作法やお悔やみでの緊張の原因を体に聞いていき、ワークによってほぐすことで、感じ方が大きく変わり、認識が楽にそして大きく広がっていくことを実感しました。体もレゴのロボットのような感覚から、曲線的な人間的な身体観になりました。体というのは本当に不思議なものです。

早速、直近の葬儀で、呼吸や姿勢、他者とのつながりを意識することで、緊張を離れ、その場にいることができました。

そして、緊張とは違う葛藤、自分を感じ、他者を感じ、仏を感じ、伝えたいことが生成していく体験をより明確化することができました。視野狭窄に陥り、何かに逃げ込むよつな緊張とは違う、そのまま出しても深く相手に何かを伝える葛藤ということを実感しました。

言語体系によって意味づけられている真宗の作法

(これこれはこういう意味だと決められている)と、自分自身の感覚や受け手の受け取り方とのゆらぎを感じることができました。

特に遺族や家族が死者をリアルに感じる感覚については、坂井祐円氏の死者と生者のケアを通しての交流についての講演を聞いたことや、内田樹の「死と身体」の示唆などから、捉え方が大きく変わりました。正解を言うのではなく、プロセスを通して、死者イメージがどのように変容していくか、そしてそれが生者にどのような気づき、目覚めをもたらすか、このことについて、もっと心理学的知見を取り入れて、教学を考えていかなければならないと思いました。「怨霊」が「守護者としての先祖」に変わる変容は世界的に見られる事例だそうです。またゆっくり考えて意見をまとめたいと思います。