歓喜会終わりました。
初めての試み。
お参りは少人数でしたが、お一人お一人とゆっくりお話しできたのが良かったです。
自分が自由に振る舞えるということは他者に不自由を強いていることかもしれない。
同じように、自分にとって楽しいことや嬉しいことも、だれかの我慢の上にあぐらをかいていることかもしれません。
お盆のおいわれ、目連尊者のお母さんも、目連にとっては優しく、愛情を注いで下さる、素晴らしい母親だったけれど、自分の子が可愛いあまりに、ケチになり他者を傷つけ、排除してきた結果として、餓鬼道におちてしまったのでした、
わたしは分別して生きている。好き嫌い、良し悪しばかり言って、わがままいっぱいで、自分可愛いの心しかない。
けれども、何者にも分け隔てのない如来さまの無分別のお心をいただくことが、本当の意味で自身を、そして他者を大事にするということなのだとお盆のご縁を通して感じました。
坊守